- 記事を読んでほしい人
- "結果" ばかり気にしすぎると…
- "結果" よりも "過程" を気にする
- 結果しか見ない方にも『責任』はある
- "結果しか見ていない" は、信用を失うことも‥。
- "過程を気にする" は、 コミュニケーション
- もう少し体温のある関係を‥。
記事を読んでほしい人
- 親・上司などの立場にいる人
- これからその立場になるかもしれない人
- 結果以外に見るところがわからない人
"結果" ばかり気にしすぎると…
親となれば家庭では子供のテストの点数、上司となれば部下の仕事の成果など、結果を気にする場面って必ず出てきます。
こういう時にあなたは、結果ばかり気にしていませんか?
「 "結果だけ" を見て、大丈夫だろう」と単純に判断していると、あることを見逃してしまうことがあります。
それは、"不正" や "ごまかし" です。
なんと結果ばかり気にしていると "不正" や "ごまかし" に気付けないのです。
今回は、そのことについてお話をします。
"結果" よりも "過程" を気にする
「不正?ごまかし?」と思われるかもしれません。
ここで1つ例え話をします。
A君は数学のテストが80点でした。
あなたは結果に喜んだとします。
しかし後に、A君のカンニングが発覚しました。
あなたは、テストの点数だけでカンニングしていたことを見抜けますか?
たぶん見抜けないはずです。
今回の例では、"カンニングが発覚した" という設定ですけど、
もしカンニングしたことがわからなければ、喜んで終わっていると思うんです。
「終わり良ければ、全て良し」と言われるように人は「基本的に結果が良ければ、過程も大丈夫だろう」と思い込んでしまいます。
ここに "不正するスキマ" ができてしまうんですね。
だからこそ "結果" よりも "過程" を気にしないといけないんです。
先ほどのカンニングの例は極端ですが、もう少し身近な例え話をします。
テストの選択問題でわからないけど適当に選んで正解だったということがなかったでしょうか?
結果は正解。過程は適当。
結果だけ見ると、理解している。過程をみると、理解できていない。
親は、結果だけを見て安心する。子供はラッキーだと思って安心する。
こういうことも起きてしまうのです。
結果しか見ない方にも『責任』はある
不正をすることは、絶対に悪いことです。
本人だって不正が悪いこともわかっているはずです。
それでもなぜ不正を行うのでしょうか?
それは "結果しか見ない" と気付いているから。
この瞬間さえ終われば何とかと思っているからです。
でも、そうさせてしまった親・上司側にも責任はあると思うのです。
結果だけを見てほめる・怒るなどを繰り返したせいかもしれないからです。
だからこそ、親・上司側から変わらないといけません。
確かに過程を気にするというのは負担も増えます。
評価する側としては、結果だけ見る方が圧倒的に楽なんです。
ですが、子供や部下が間違った道にいかにように、実力を勘違いしてしまわないようにするためには必要な労力だと思うのです。
"結果しか見ていない" は、信用を失うことも‥。
結果しか見ないと、"不正" や "ごまかし" に気付けないと書きましたが、
実は "信用を失っている" こともあるんです。
結果だけを見てほめたり、怒ったりすると、
表面上は「ありがとうございます」とお礼を言ったり、「すいません」と反省しているのですが、
心の中では「普段、知らないくせにこういう時だけ、絡んできやがって‥」と思っていることもあるんです。
これが、結果しか見ていないから "信用を失ってしまっている" パターンです。
こうなってしまっては、お互い不幸な関係ですよね。
これを回避するためには、負担は増えますが "過程を気にしてあげること" が一番だと思うんです。
つまり "過程を気にすること" は、"信用の基礎作り" の面もあるんです。
やっぱり信用の基礎がないと、どんなことを言っても受け取り方にズレが生じてしまいますから、大切なことです。
"過程を気にする" は、 コミュニケーション
過程を気にすると言っても、全て説明してもらう必要はありません。
ただただシンプルで、普段のコミュニケーションで十分です。
シンプル is ベスト。
普段から
「なるほど~。ここって、どういう風に考えたの?」
「結構、この部分に苦労したんじゃない?どうやったの?」
とかのちょっとした質問をするだけでいいんです。
そうすれば、「あなたのことを気にしているよ」というメッセージにもなりますし、「どこまで理解しているのか?」ということも確認できます。
だからこういうちょっとしたコミュニケーションが大切だと思います。
関連記事の紹介
"褒めること" についての記事も書いています。ぜひコミュニケーションの参考にして頂ければと思います。
そしてどんな結果でも否定せずに受け入れることを忘れないようにしたいんです。
結果は、親・上司も気にしていますが、もちろん本人も気にしています。
子供や部下の答えが、求めていた結果と違っていた時、
「授業を聞いていたの?」
「話を聞いていた?」
と言われると "答えること" が怖くなりませんか?
この怖さが、一人で対処しようとしたり、報告するのが遅れてしまったり、不正に走らせてしまっている要因の一つだと思うんです。
「授業の内容や課題の捉え方を少し勘違いしていただけ」っていうこともあります。
だから今回は「そういう勘違いしていた部分を発見することができた」と捉えて、「次に活かせてくれたら大丈夫」と声をかければいい。
そうやって、"成長の機会にした方が今後のため" だと、ぼくは考えているんです。
もちろん社会に出て働くようになると、何とかしないとしないといけない場面もあります。ですが、この怖さからくる "何とかしないといけない" は、決して精神面で良いものではありません。
自分も20代の頃にありました。ほんとに "負の連鎖" です。
もう少し体温のある関係を‥。
これまで書いてきましたが、
結果しか見ていないがゆえに、"信用をされていなかったり"、"怖さを感じていたりする" というような "ずれてしまっている関係" って、悲しいことだと思うんです。
それに "過程を気にしてあげる" というのは、その人の努力を気にしてあげるということです。その "努力" があってこその結果ですから。
『結果が全て』ということはわかりますが、ぼくはそういう世界は少し冷たいかなと思います。
だから、ぼくはこちら側から "体温のある関係" を築けたらと考えているんですね。
甘いと思われるかもしてませんが、こちらの方がよりいい結果が訪れると信じて、今日も頑張ります。
関連記事の紹介
人材育成についても記事も書いています。参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください。