えむおの人生アップデートブログ

会社に居場所はありませんでした。頭の中に答えもありませんでした。だから行動するしかありませんでした。その中で得られた知識・考え方をあなたに提供し、アップデートさせます。

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【考え方】「〇〇ガチャ」について思うこと

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読んで欲しい人

  • 「〇〇ガチャ」という考え方が気になる人
  • 「〇〇ガチャ」という言葉を使ってしまう人

「〇〇ガチャ」という言葉

「同期ガチャ」

「配属ガチャ」

「上司ガチャ」

などなど。

 

最近、「〇〇ガチャ」という言葉を見かけるようになってきました。

「運」に左右される事象を「ガチャ」に例えた言葉です。

 

確かに「同期」、「配属」、「上司」は、自分で決めることはできず、

運の要素が絡んでくるものですよね。

 

あなたは、この「〇〇ガチャ」という言葉をどう思っていますか?

 

ぼくは、良いものと思っていません。

ゲームに「ガチャ要素」がなかった世代だからという訳ではありません。

 

そのように思う理由が、大きく2つあるのです。

 

まず1つ目の理由ですが、

「○○ガチャ」という言葉を使ってしまう人は、"他人と比較してしまっている" 。

 

そして2つ目の理由は、

最初にハズレだと思った○○ガチャが、本当にハズレだとは限らない。

 

という2点です。

 

この2点はぼく自身、社会人になって10年以上の経験から、自信を持って言えることですし、あなたにもぜひ一度考えて欲しいことでもあります。

 

ということで、これから少しづつ解説をしていきたいと思いますので、

お付き合いのほどよろしくお願いします。

「○○ガチャ」は比較している

先ほど言いましたが、「○○ガチャ」という言葉を使ってしまう人は、"他人と比較する癖がある人" だと、ぼくは思っています。

 

なぜ、そう思うのか?

 

それは「何を基準にアタリ or ハズレを言っているのか」 を整理すれば良いと思います。

 

恐らく "他人の状況を基準" に自分の状況を比較しているのではないでしょうか

 

今、SNSなどで他人の順風満帆で過ごしている面をよく目にします。
そのため、他人の順風満帆の部分と "自分の上手くいっていない部分" を比較してしまっているのだと思います。

 

こんなのはフェアな比較ではありませんよね。

 

このような考え方では、自分の上手くいっていない部分にしか目につかなくなってしまうで、自分は満たされることなんてないんです。

 

そもそも他人との比較にはゴールなんてありません。

なので精神的に疲弊していくばかりなのです。

 

やはり「競争社会」「勝ち組」などの言葉もよく見かけますから、

『競争で勝たないといけない』という発想が自分の頭の片隅にあるのかも知れません。

その発想のせいで、ついつい「〇〇ガチャ」という考え方に知らず知らず行き着いてしまうということも考えられます。

 

ですが、"他人と比較して" ハズレだと思っても何も得られるものはありません。

 

本当に人生で大事なのは、『自分がどうありたいか?』の方です。

『そのありたい自分の姿に今の環境で近づくことができるのか?』を "軸" として考えた方が絶対良いです。

ここに他人との比較は必要ありませんよ。

ぼくは上司ガチャは外れだったけど…

ぼく自身のことを振り返ると、今回のテーマである「〇〇ガチャ」の考え方で言えば、

『上司ガチャは完全なるハズレ』でした。

 

まず「俺の下に指示待ち人間はいらないからな」と言われ、

自分なりに動いていると「勝手なことをするな」と言われ、

質問をすると「自分で考えろ」とバインダーの角でツンツンされ、

その時の上司のPC画面には「ソリティア」が映ってる。

そんな上司でした。

 その上司は、後に360°評価が採用され、マネジメント能力が著しく欠如していることが明るみになり、降格となりました。

 

確かにガチャとしてはハズレとなるんですが、

ぼく自身、結果的には "アタリ" だと思っています。

「何を言ってんの?」と思われる方もいらっしゃると思います。

その理由はですね、ぼく的に "学ぶことが多かったから" なんです。

 

「その上司のような人間にはなってはいけない」と心に深く刻みましたし、

そんな上司とそれなりにやっていく対面スキルの勉強になりました。

また数多くの書籍を読むようになったのも上司との関係を改善したかったからです。

その結果、様々なスキルが身につきました。

 その中で得た学びをこのブログに書いているわけです。

 ある意味、感謝しなきゃいけない。

 

つまり、『人間関係としての相性はハズレ。しかし反面教師としての経験はアタリだった』ということです。

 

これが、この記事の最初の方に書いたぼくがガチャという考えを良いと思っていない理由の2つ目の『最初にハズレだと思った○○ガチャが、本当にハズレだとは限らない』につながってくるわけです。

 

この経験からぼくが言いたいのは、

  • 運の要素が絡むことは間違いないですが、決してアタリかハズレの二択 ではなく、捉え方次第でプラスの面もマイナスも面もある。
  • 最初はハズレかも知れないけど、そのままハズレで終わらせるのはもったいないこともある。
  • 自分の希望通りじゃなくても、学べることはある。

ということです。

覚えておいてくださいね。

自分の意志で決めれば、ハズレはない

「○○ガチャで外れた。オワタ。」と嘆くのも自由です。

ですが、このような嘆きの姿勢を続けていると、

「次に活かせることはないかな?」などの視点を失い、学べることも学べなくなってしまいます。

 

これこそ、本当に "ハズレ" になってしまいます。

 

たとえば「ハズレ」の環境に配属されたとしても

「あっ。自分はこういう環境に合わないんだな」

「自分にこういう環境に向いていないんだな」

ということが分かります。

 

こういうことが「わかった」だけでもアタリだと思います。

 

もし身分制度のあった時代に生まれていたら○○ガチャなど言ってられませんよね。
幸いにも今自ぼくたちが生きている時代で自分で選択できる時代です。

配属、上司も一生ものではありませんし、その気になれば自分で仕事を変えることだってできます。

 

だからこそ、自分の意志で決めることが大事だと思います。

ハズレだと思うのなら、また次の行動に移ればいい。

『ガチャ=挑戦』と捉える方が良いのかも知れませんね。

「もうそろそろ潮時かな、(自分から)次のガチャを回しに行こ」というように。

 

なので嘆く必要なんてありません。

自分の意思で決める限り、ハズレはありません。

 

あなたなら大丈夫。
きっと自分なりの良い道を歩んでいけるはずです。